これだけ評判の悪い石破総理ですが、実は私はある一点で石破総理に感謝している事があります。
このように書くときっとこう思われる事でしょう。
「あんな総理大臣に何を感謝する事があるのか?」と。
おっしゃる事は解ります。確かに石破総理は見ているだけで辛くなりますよね。
石破総理の見ていて辛くなるところ
少し振り返っただけでも、就任以来、
衆議院選挙、
都議会選挙、
そして先日の参議院選挙
と大事な選挙に大敗し続けたのにも関わらず首相の座に居座り続けようとする厚顔無恥。
しかも過去に麻生総理が選挙で大敗した時には、政権の閣僚だったのにもかかわらず首相退任を迫った。
にも関わらず自分が大敗したら責任は全くとらない。
つまり言っている事とやっている事が全然違う。
さらに言えば、就任した時のモーニング服はサイズがあってない。さらにシャツの隙間から腹が見えている。
しかもサミットに出ればまるで婚活パーティーに行って浮いているような無様な浮きっぷり。
ついでに言うと、飯を食ても嚙み方も箸の使い方も他人に見られる事を全くかんがえていない。
つまり総理大臣に何度もなろうとしたのにも関わらず、全く準備をしていなかった事が露呈。
何を喋ってもただダラダラしゃべり続けるだけで、何か誤魔化すような喋り方です。
はっきり言って、
「選挙だけを繰り返して、政治を全くやってこなかっただけの人」です。
それは私も認めます。
石破総理は過去の恥ずかしい思い出を緩和してくれる
でもね「これでどこに感謝するのか?」と言われれば、実はあるんです。
それは私自身の過去の恥ずかしさを緩和してくれるという事です。
誰しも、恥ずかしい思い出がいくつかあるものですよね?。
当然私にもありますよ。
例えば「自分には実力もないのに、上司や前任者への不満を周囲に語る」なんて経験はどなたにもあるでしょう?
そして自分がその立場になった時に、全く責任を果たせず、大恥をかいた経験が。
こういう後悔は本当に一生消える事はありません。
辛いです。
恥ずかしい思い出は歳を重ねる毎に大きくなっていく
これが少年時代や若い頃に抱いた誰かへの恨みや憎しみだったら、それは年を重ねてゆっくり薄らいでいくものです。
でもそれとは逆に、「恥ずかしい思い出」は薄らいでいくどころか、年を重ねる毎にどんどん心の中で大きくなっていきます。
誰しもそうだと思います。
1人でいる時にふと思い出して、「うわー!」っと大声をだしたくなってしまう事すら珍しくありません。
恥ずかしい過去と、それを反省する気持ちが同時にあればそれでいいんだ
しかしそんな事に苦しみながら、石破首相を見ていると、
「あ、この人は俺みたいな体験がないんだ」
と言う事に気づきます。
「自分の実力の無さに気づけもせずに大言壮語を重ねて、挙句の果てに周囲に無能さを晒して大恥をかいたという体験がないんだ・・・」
「何十年も国会議員をやりながら、総理大臣の椅子に座れば誰かが動いてくれると思っていたんだ・・・。まるで上司や前任者の悪口ばかり言っていたあの時の自分のように」
とすら思えます。
そうなってくると自分の過去の恥ずかしい体験への反省や後悔が少しだけ薄らいでいく気がするのです。
「あぁ、俺はあの時、あんな恥ずかしい行動をしてしまった。」
「それを今もの凄く後悔している。」
「でもこれでいいんだ・・。」
「若い頃にあんな恥ずかしい事をしたという体験がなかったら、そして繰り返し感じているこの激しい後悔がなかったら・・・、もっと、取り返しのつかないような大きな失敗をしていた事だろう。石破首相のように」と。
これが、感謝している点です。