昨日もこんな記事を書いて、コロナウィルスの流行が日本や東アジアで抑えられたのは「箸文化」だったからと書きましたが、今日はその続きです。
緊急事態宣言の中、政府や行政機関は飲食業や集客施設に基本的には金銭的な保障のない「要請」だけだったのに、各業者が営業を自粛した事も海外では不可思議に報道されたそうですが、これは農耕民族だったからと思われます。
根本的に農耕民族なので。限られた集落で限られた自然環境を有効活用して、限られた収穫を皆で分配して生きていかねばなりません。
自ずとリーダーに必要な能力は「調整」「調停(仲裁)」です。
争いを未然に防ぐ事と、争いが発生したら迅速に仲裁すること。
これだけです。
争いを止める為にはどちらもある程度は「利益の放棄」をしなければなりません。
(そりゃ例外的な事例はたくさんあるにしても)どこかで戦いをやめるという事は何かの利益を放棄する事と一緒です。
例えば、勝っている方だって、戦いをやめるという事は勝ち続けた場合の将来的な利益を放棄するという事です。
負けている方だって「戦いをやめる」という事は劣勢を挽回できた場合の利益を放棄する事になります。
歴史を見ても国内で相手を「全滅」に追い込むまで戦った例は、織田信長の比叡山攻めくらいです(豊臣秀吉の鳥取城攻め、明治政府軍の会津攻め等は壮絶な戦いだったにしても、開城の青後は許されています)。
日本人は「仲裁」と「利益の放棄」を受け入れる事になれているのでしょう。
今回はそんな染みついた本能が働いたのだと思います。
(発令当時は)何の保障もなく、罰則もないのに政府の「要請」だけで、沢山の飲食店が営業を自粛し、芸能関係者が工業を自粛した事も農耕民族ならではの「調整」「仲裁」に応じる本能だと思います。
反対に狩猟民族は違います。狩った獲物は(基本的には)保存ができないし、来年同じ場所で狩れる保証はありません。
そんな中で生きていく為にはリーダーの目利きは重要です。
大きな集団とさらにその中での小さな集団。それぞれにリーダーの才覚が重要となります。
大きな集団のリーダーが「あっちに大きな獲物がいる」と行っても家単位の小さなリーダーが「いや獲物はこっち」と行動する事もあったでしょう。
だから「外出自粛」も罰則のついたものにしないと効果がありません。
欧米の思想にどっぷり使った日本のエリート層’(新聞記者やテレビ局員)もその点を認めたくなくて検討違いな報道ばかりです。
同調圧力と蔑もうと思えばできますが、それも日本社会の強さという事もできます。
私のような中小企業経営者も方針をしめし、会社を一つの方向に進め始めた後は仕事の中で「社内の調整。調停」は大きなウェイトを占めます。
あちらを立てればこちらが立たずです。あちらで宥め、こちらで怒りを共有したポーズをしつつまた宥めの繰り返しです。
社内や組合の反発勢力に対しては、他の強い人間を味方につけてから説得を行います。
まさに「社内の同調圧力」を利用するのです。
※ただ、この農耕民族の正確は、いい事ばかりではありません。
リーダーの仕事が「調整」と「仲裁」に集中するので、仲間に責任をとらせる事が出来ない点ですが、その話はまた後日。
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